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『華氏911』マイケル・ムーア

 「マイケル・ムーアは中途半端な知性だ」と、『華氏911』を観もしないで言い捨てたゴダールの真意について、あの時考えていた。

 『華氏911』の魔法は、現にかの国の内側では機能しなかった。外部から見たところでは、この映画が公開された直後、上院議員の疑惑をあげつらうレベルの低い中傷の広告や書籍や運動が生まれ、大統領自らがこれを諌め、沈静化させた時点で、魔法は消えてしまったように見えた。要はくだらない中傷合戦のひとつとしての意味を付与され、簡単に回収されてしまったのだ。ブッシュ陣営からすれば、そのふたつの間にある意味合いの違いを気にする国民が少なかったことが、この情報戦を成功させる鍵だったろう。

 このように、ブッシュをアメリカ合衆国大統領に就任させた仕組みは、いまや半数近い国民に知的判断のための必要充分な能力(識字をはじめとする教育水準のことを指す)が備わっていないという異常な事態を基盤にしている。言うまでもなく大量の≪後から来た移民≫によって引き起こされたこの事態は、本来≪先住民≫にとって災厄でしかないはずだった。膨らむ福祉・教育予算、膨らむ財政赤字、膨らむ税金負担が、上層階にいる≪先住民≫を苦しめる筈だったのだ。誰もに成功の機会があり、国籍を取得した者を等しく国民として歓迎するという合衆国の幻想的理念を遵守しようとする限りにおいては。

 逆転の発想だと思う。これを考えた≪先住民≫たちは確かに馬鹿ではない。知らざる者を徹底的に無知なままにしておくことによって、衆愚化する運命にあった大国は民主主義の政体を維持したまま貴族政治へと変質する。勿論何ら新しい発想ではないが、異常事態を機会と捉え、諸要素を正しく配置し、プランを短期間に実現させたことは驚くに値する。この4年間と今回の選挙とによってその慧眼は証明されたといってよい。

 このあとはどうなるのか。あとは、何もない。数年後、数十年後、いずれは死の恐怖に飽き、父性の幻想に飽きたアメリカ合衆国の内で起こる革命までの間、利益の追求に邁進するだけなのだ。

 ゴダールなら、このことに関して、いつ、どんな映画を撮るのだろう。いや、もっと前に撮ったのか、そうだった。ではそうだとすれば?知性や芸術が、中途半端であれ、完全であれ、程よくできたシステムの前に無力であるとすれば、ぼくらにも、アメリカ国民と同様、そこに滞留し、忠実にそれを遂行していくことで、やがてシステムを破綻に至らしめるという非歴史的な戦略しか残されてはいないのだろうか。

 13年前に「ただ不愉快だ」と言って口をつぐんだ人たちのことを思い出す。13年前、全ての発言が偽善か偽悪にしかならなかったように、ぼくらは本質的に与するところを持たず、行動すべき対象を持たない。何よりもそのことが不愉快なのかもしれない。